奈良国立博物館「国宝 春日大社のすべて」
今日5月1日は43回目の誕生日でした。そんな自分への誕生日プレゼントを兼ねて、奈良国立博物館に行ってきました。
(なんだか旅行ブログになりつつあるような)
近鉄奈良駅に着いたのが午前10時ごろ。登大路の坂道を登れば奈良国立博物館だ。
興福寺の横を通り過ぎようとしたところ、目の端にちらっと「北円堂特別開扉」の文字が飛び込んできた。
ちょうど今やっている。寄り道確定である。
考えてみれば、ここ何度か奈良に来た時には興福寺に寄ってない。
こんなこともあろうかと御朱印帳も今回は持参しているので、むしろ寄り道は望むところである。
寄り道に寄り道を重ねて
東金堂の向かい側にプレハブの寺務所があり、御朱印の案内が出ている。特に並ぶでもなくすっと御朱印帳を開いて渡すと「どれにしますか?」と。
どれとは?と混乱していると、担当の方がカウンターの上を指さす。見ると6種類の文字が並んでいて、ここから希望するものを選べるらしい。
とはいえいきなり選べと言われても迷ってしまう。そんな様子を見てか、担当の方が助け舟を出してくれた。
「阿修羅さんはもう見ましたか?」
阿修羅さんとは、おそらく日本で最も有名な仏像の1つであろう阿修羅像のことである。京都にしても奈良にしても、神仏と人々との距離感はご近所さん並みの近さだ。
「いえ、これからです」
「じゃあ5番にしましょうか」
5番というのは『千手観音』だった。
上のやりとりの結果なぜ千手観音なのかというと、阿修羅像は現在国宝館という建物に安置されているが、その国宝館の中心にあるのが千手観音菩薩立像なのである。
担当の方は墨を含ませた筆をよどみなく動かし、千手観音の文字と朱印を押してくれた。
北円堂に寄り道する前に、さらに国宝館に寄り道することになってしまった。とはいえ阿修羅像は昨秋に京都国立博物館で開催された国宝展には出品されていなかったので、これはいい機会だろう。
境内は観光客や学生でにぎわっていたが、国宝館は思ったよりも混んでいなかった。
国宝館だけの入場なら700円だが、東金堂にも入れる共通券にすると900円だという。そんなことを言われたら断れない。予定外の訪問先がどんどん割り込んでくるが、まだ時間には余裕がある。
国宝館はその名の通り、国宝だらけだ。さっき改めて興福寺のWebサイトで確認すると30もの国宝が収蔵されている。しかも乾漆八部衆立像などはまとめて1点とカウントしているので、実際にはもっと多い。国宝ってその辺にごろごろしているのではないかと錯覚してしまう。
順路に沿ってみていくが、最初の金剛力士立像でもう目が釘付けになる。明らかに慶派の造り。わずかにくの字にねじれた体幹と隆々と盛り上がった筋肉、ふくらはぎには血管も浮いている。腰に巻いた衣は風を受けて体に柔らかくまとわりついている。
リアル、という表現は厳密には適切ではないと思う。浮き出した筋肉の形など、人体の構造から考えて明らかにおかしいところも多い。
しかし、それを認識した上で、やはりこれはリアルだと思う。いわゆる実物を忠実に記録したという意味ではなく、見る者の心にある力士のイメージに対してリアルなのである。
そこから目を横にやると、巨大な千手観音菩薩の横半身が見える。ぐるっと順路を回ればやがて阿修羅像と向き合う形の正面にたどり着く。
巨大といっても東大寺の大仏のような巨大さではないが、5メートル以上の姿はやはり大きい。大きいが、穏やかで静かな佇まいである。
さて、阿修羅像である。
乾漆八部衆立像のうちの1であるが、胸部から下が失われている五部浄像を除いた7体の中心に、やや他の立像とは間隔を広く取って安置されている。もしもこの八部衆がテレビの戦隊ものなら、明らかにリーダーであるレッドの位置づけである。
八部衆を見ると少年のような顔立ちのものと動物をモチーフにしたものとに分かれている。さらに人型のものも動物の形をした冠をかぶっていたりと、まさに戦隊ものというか私の世代だと聖闘士星矢をほうふつとさせる。
金剛力士や千手観音菩薩ともまた違い、こちらは全体に華奢な印象。力強さよりもなにかはかなさのようなものを感じさせる。阿修羅像もいわゆる戦闘神の風情はない。腕は細く、表情も決して険しくはない。興福寺のものと並んで有名な京都・三十三間堂の阿修羅像に代表される恐ろしげな表情のものとはまるで異なる、この阿修羅像は独特の雰囲気をまとっている。
……と、かなり長くなりそうなのでここで一区切り。
(なんだか旅行ブログになりつつあるような)
奈良といえば鹿 |
近鉄奈良駅に着いたのが午前10時ごろ。登大路の坂道を登れば奈良国立博物館だ。
興福寺の横を通り過ぎようとしたところ、目の端にちらっと「北円堂特別開扉」の文字が飛び込んできた。
ちょうど今やっている。寄り道確定である。
東金堂と五重塔 |
考えてみれば、ここ何度か奈良に来た時には興福寺に寄ってない。
こんなこともあろうかと御朱印帳も今回は持参しているので、むしろ寄り道は望むところである。
寄り道に寄り道を重ねて
東金堂の向かい側にプレハブの寺務所があり、御朱印の案内が出ている。特に並ぶでもなくすっと御朱印帳を開いて渡すと「どれにしますか?」と。
どれとは?と混乱していると、担当の方がカウンターの上を指さす。見ると6種類の文字が並んでいて、ここから希望するものを選べるらしい。
とはいえいきなり選べと言われても迷ってしまう。そんな様子を見てか、担当の方が助け舟を出してくれた。
「阿修羅さんはもう見ましたか?」
阿修羅さんとは、おそらく日本で最も有名な仏像の1つであろう阿修羅像のことである。京都にしても奈良にしても、神仏と人々との距離感はご近所さん並みの近さだ。
「いえ、これからです」
「じゃあ5番にしましょうか」
5番というのは『千手観音』だった。
上のやりとりの結果なぜ千手観音なのかというと、阿修羅像は現在国宝館という建物に安置されているが、その国宝館の中心にあるのが千手観音菩薩立像なのである。
担当の方は墨を含ませた筆をよどみなく動かし、千手観音の文字と朱印を押してくれた。
北円堂に寄り道する前に、さらに国宝館に寄り道することになってしまった。とはいえ阿修羅像は昨秋に京都国立博物館で開催された国宝展には出品されていなかったので、これはいい機会だろう。
境内は観光客や学生でにぎわっていたが、国宝館は思ったよりも混んでいなかった。
国宝館だけの入場なら700円だが、東金堂にも入れる共通券にすると900円だという。そんなことを言われたら断れない。予定外の訪問先がどんどん割り込んでくるが、まだ時間には余裕がある。
国宝館はその名の通り、国宝だらけだ。さっき改めて興福寺のWebサイトで確認すると30もの国宝が収蔵されている。しかも乾漆八部衆立像などはまとめて1点とカウントしているので、実際にはもっと多い。国宝ってその辺にごろごろしているのではないかと錯覚してしまう。
順路に沿ってみていくが、最初の金剛力士立像でもう目が釘付けになる。明らかに慶派の造り。わずかにくの字にねじれた体幹と隆々と盛り上がった筋肉、ふくらはぎには血管も浮いている。腰に巻いた衣は風を受けて体に柔らかくまとわりついている。
リアル、という表現は厳密には適切ではないと思う。浮き出した筋肉の形など、人体の構造から考えて明らかにおかしいところも多い。
しかし、それを認識した上で、やはりこれはリアルだと思う。いわゆる実物を忠実に記録したという意味ではなく、見る者の心にある力士のイメージに対してリアルなのである。
そこから目を横にやると、巨大な千手観音菩薩の横半身が見える。ぐるっと順路を回ればやがて阿修羅像と向き合う形の正面にたどり着く。
巨大といっても東大寺の大仏のような巨大さではないが、5メートル以上の姿はやはり大きい。大きいが、穏やかで静かな佇まいである。
さて、阿修羅像である。
乾漆八部衆立像のうちの1であるが、胸部から下が失われている五部浄像を除いた7体の中心に、やや他の立像とは間隔を広く取って安置されている。もしもこの八部衆がテレビの戦隊ものなら、明らかにリーダーであるレッドの位置づけである。
八部衆を見ると少年のような顔立ちのものと動物をモチーフにしたものとに分かれている。さらに人型のものも動物の形をした冠をかぶっていたりと、まさに戦隊ものというか私の世代だと聖闘士星矢をほうふつとさせる。
金剛力士や千手観音菩薩ともまた違い、こちらは全体に華奢な印象。力強さよりもなにかはかなさのようなものを感じさせる。阿修羅像もいわゆる戦闘神の風情はない。腕は細く、表情も決して険しくはない。興福寺のものと並んで有名な京都・三十三間堂の阿修羅像に代表される恐ろしげな表情のものとはまるで異なる、この阿修羅像は独特の雰囲気をまとっている。
……と、かなり長くなりそうなのでここで一区切り。
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