春の京都めぐり
だいたい毎年、ゴールデンウィークには何らかの展覧会を見に行っているのですが、今年は地元逸翁美術館とともに京都の展覧会を見たくて、1日かけて京都を巡ってきました。
行きたかった展覧会は2つ。
京都国立博物館の「海北友松展」と、相国寺承天閣美術館の「伊藤若冲展 [後期]」。
この2つを軸に、その近所や移動ルート上にある寺社仏閣や名所旧跡に立ち寄ることにしました。
以下、写真を交えてルートを簡単に紹介します。
スタートは京都駅。京都タワーを横目に徒歩で京都国立博物館へ移動しました。
雲一つない快晴ながら風があって快適なウォーキングになりました。
9時半開館ですが、9:10の時点で長い列ができていました。
ここでじっくり2時間半かけて作品を鑑賞して、かなり体力を使いました😅
博物館の裏手は豊国神社。
伏見城から移築された国宝の楼門の下で柏手を打ちました。
さらにすぐ横が大阪冬・夏の陣のきっかけとなった鐘銘で有名な方広寺。
鐘のやや上部に2か所白くなっているところがありますが、ここに有名な「国家安康」「君臣豊楽」の文字があります。白く色を入れてくれているおかげでなんとか肉眼でも文字を読むことができました。
豊国神社の前には耳塚。
日本で天下統一を成し遂げた秀吉が大陸にも勢力を伸ばすべく行った朝鮮出兵の際に、兵士たちが首級の代わりに持ち帰った塩漬けにした耳や鼻を弔ったものです。
そんな歴史も、春の晴天の下で静かに眠っているようです。
ここから相国寺に向けての移動のために京阪電車に乗るために駅まで歩きますが、このころから陽射しが強まり気温が上がってきて初夏のような暑さになってきました。
今や国道1号線の一部として車がひっきりなしに通る五条大橋は、牛若丸と弁慶の出会いの逸話で有名ですね。
五条大橋の西のたもとには、牛若丸と弁慶の像が設置されています。
実はこの五条大橋のすぐ南西側、鴨川と高瀬川に挟まれた細いエリアにも史跡がありました。
大きな榎ですが、この榎はかつてこの地にあったという源融の屋敷の庭にあったものだそうです。
源融は源氏物語の主人公光源氏のモデルのひとりとされる貴族です。
あまり知られていないのは、この木があるだけで特に何も残っていないからかもしれません。
すぐにそばの清水五条駅から電車に乗ってもよかったのですが、高瀬川沿いの雰囲気を楽しみたかったので四条まで歩き、祇園四条駅から電車に乗りました。
やってきたのは京阪特急。私鉄で特急料金もかかりませんが、2階建ての車両もありゴージャスな内装の特急でした。
思わず写真を撮ってしまった…。
出町柳駅で下車に地上に出たところで、糺の森が涼しそうだったので下鴨神社に寄り道することにしました。
明日5/3は流鏑馬神事が行われるので、その準備が着々と進められていました。
この写真の場所も、明日は入れないはず。
糺の森は、これが都市の中とは思えないような静謐で明るい森で、木陰は風も涼しく、体が感じていた暑さもすっと引いていきました。
ここでたまたま我が家の墓が近くなので墓参りに寄り、そのまま相国寺に。
承天閣美術館に入る前に、法堂や方丈が特別公開されていたので、そちらを先に拝見。
法堂では有名な狩野光信筆の蟠龍図を見ることができました。
ここまで歩いてきて相当に疲れてきていたことと、承天閣美術館はそれほど大きな美術館ではなかったこともあり1時間ほどで観覧を終え、最後に相国寺から北に少し歩いたところにある御霊神社に行きました。
ここは応仁の乱が始まった場所として有名です。
正門(西側)の鳥居の南側に「応仁の乱勃発地」の石碑が建っていました。
9時前に京都駅を出発して、御霊神社の参拝を終えたのが16時半すぎ。ほぼ歩きとおして足が棒のようになって大阪に帰りました。
展覧会の感想はまた改めて。
行きたかった展覧会は2つ。
京都国立博物館の「海北友松展」と、相国寺承天閣美術館の「伊藤若冲展 [後期]」。
この2つを軸に、その近所や移動ルート上にある寺社仏閣や名所旧跡に立ち寄ることにしました。
以下、写真を交えてルートを簡単に紹介します。
スタートは京都駅。京都タワーを横目に徒歩で京都国立博物館へ移動しました。
雲一つない快晴ながら風があって快適なウォーキングになりました。
9時半開館ですが、9:10の時点で長い列ができていました。
ここでじっくり2時間半かけて作品を鑑賞して、かなり体力を使いました😅
博物館の裏手は豊国神社。
伏見城から移築された国宝の楼門の下で柏手を打ちました。
さらにすぐ横が大阪冬・夏の陣のきっかけとなった鐘銘で有名な方広寺。
鐘のやや上部に2か所白くなっているところがありますが、ここに有名な「国家安康」「君臣豊楽」の文字があります。白く色を入れてくれているおかげでなんとか肉眼でも文字を読むことができました。
豊国神社の前には耳塚。
日本で天下統一を成し遂げた秀吉が大陸にも勢力を伸ばすべく行った朝鮮出兵の際に、兵士たちが首級の代わりに持ち帰った塩漬けにした耳や鼻を弔ったものです。
そんな歴史も、春の晴天の下で静かに眠っているようです。
ここから相国寺に向けての移動のために京阪電車に乗るために駅まで歩きますが、このころから陽射しが強まり気温が上がってきて初夏のような暑さになってきました。
今や国道1号線の一部として車がひっきりなしに通る五条大橋は、牛若丸と弁慶の出会いの逸話で有名ですね。
五条大橋の西のたもとには、牛若丸と弁慶の像が設置されています。
実はこの五条大橋のすぐ南西側、鴨川と高瀬川に挟まれた細いエリアにも史跡がありました。
大きな榎ですが、この榎はかつてこの地にあったという源融の屋敷の庭にあったものだそうです。
源融は源氏物語の主人公光源氏のモデルのひとりとされる貴族です。
あまり知られていないのは、この木があるだけで特に何も残っていないからかもしれません。
すぐにそばの清水五条駅から電車に乗ってもよかったのですが、高瀬川沿いの雰囲気を楽しみたかったので四条まで歩き、祇園四条駅から電車に乗りました。
やってきたのは京阪特急。私鉄で特急料金もかかりませんが、2階建ての車両もありゴージャスな内装の特急でした。
思わず写真を撮ってしまった…。
出町柳駅で下車に地上に出たところで、糺の森が涼しそうだったので下鴨神社に寄り道することにしました。
明日5/3は流鏑馬神事が行われるので、その準備が着々と進められていました。
この写真の場所も、明日は入れないはず。
糺の森は、これが都市の中とは思えないような静謐で明るい森で、木陰は風も涼しく、体が感じていた暑さもすっと引いていきました。
ここでたまたま我が家の墓が近くなので墓参りに寄り、そのまま相国寺に。
承天閣美術館に入る前に、法堂や方丈が特別公開されていたので、そちらを先に拝見。
法堂では有名な狩野光信筆の蟠龍図を見ることができました。
ここまで歩いてきて相当に疲れてきていたことと、承天閣美術館はそれほど大きな美術館ではなかったこともあり1時間ほどで観覧を終え、最後に相国寺から北に少し歩いたところにある御霊神社に行きました。
ここは応仁の乱が始まった場所として有名です。
正門(西側)の鳥居の南側に「応仁の乱勃発地」の石碑が建っていました。
9時前に京都駅を出発して、御霊神社の参拝を終えたのが16時半すぎ。ほぼ歩きとおして足が棒のようになって大阪に帰りました。
展覧会の感想はまた改めて。
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