2017春の沖縄旅行:勝連城跡
今回の沖縄旅行のメインがガンガラーの谷だとして、もう1つ印象に残ったのが勝連城跡でした。
もともと行く予定はしていなかったのですが、伊計島のビーチで遊んだあと夕方に少し時間ができたので、あまり予備知識も持たずにホテルに戻りがてら行ってみることにしました。
城跡と道路を挟んだ反対側にある無料の駐車場に車を停めて振り返ると、小高い丘の上に石垣が見えました。
想像していたより、ずっときれいで規模が大きい!
駐車場の脇には、勝連城の模型がありました。
フタコブラクダのこぶのような2つのピークをもつ丘にまたがるように城が築かれていて、北側の丘(写真の模型では右奥)の方が標高が高く、城の構造としてもこちら側がいわゆる本丸側にあたるようです。
登り口脇にあった案内板にも俯瞰図が描かれていましたが、この絵の右下から中央にむけて坂道が描かれていますが、この道は現在整備工事が進められていて通れず。その右側をぐるっとカーブを描いて登る道があり、そちらから城内に入ります。
見上げると高い石垣が見えます。天気が悪いのが残念。
北側の丘の頂上付近が一の曲輪、その下に二の曲輪、三の曲輪という形で城壁に囲まれた平らな場所があります。
三の曲輪からは二の曲輪に登る階段が3本ありました。二の曲輪には屋敷があったようなので、これらの階段がその屋敷に登る入り口になっていたようです。
一の曲輪から二の曲輪を見下ろしたところ。
屋敷の柱を支えた礎石と思われる石が並んでいるのがわかります。
それにしても見晴らしがいい!思わずパノラマで撮ってしまう。
駐車場と反対側の斜面は急峻で、その下はわずかな平地の向こうに海が広がっています。
周囲にも同じような丘が点在していますが、ざっと見たところこの勝連城がある丘が一番高いように思われました。
名城100選にも選ばれている中城城も見えるらしいですが、天気が悪かったので、私が中城城の場所を知らないので、実際に目にすることはできませんでした。
城壁は防衛のための堅牢さを備えてながらも優美な曲線を描いており、遠くに見える海や他の丘などを背景に草木の緑と黒々とした城壁の色のコントラストが非常に美しい城でした。
現地の案内やWebで軽く調べたところによると。。。
この勝連城は首里を本拠地とする琉球王国が沖縄本島を統一していく過程で、最後まで抵抗した有力な按司(豪族のようなものでしょうか?)であった阿麻和利の居城でした。
若くして勝連城の10代目の主となった阿麻和利は首里の王家の娘を娶り、中城にいた護佐丸(叔父にあたる)を滅ぼしたあと自身も首里の王家にやがて討たれることとなったようですが、この過程における阿麻和利、護佐丸、首里の尚泰久王の思惑や立場は諸説あるようで、それによって阿麻和利を英雄とみるか梟雄とみるか見解は分かれるようです。
ただ、少なくとも阿麻和利は領民に慕われる領主ではあったようで、今でもその名をところどころで目にします。
今回の沖縄旅行では2016年のコンテストにおいてグランプリをとったというハンバーガーも食べにいったのですが、そのハンバーガーの名前は「阿麻和利バーガー」でした。
あるいは、「阿麻和利・あまわり」の名がついた店や施設もいくつかありました。
歴史は勝者が作ったものであり、そこには勝者からの視点が反映されることになりますが、そうしたいわゆる正史とは別の、たとえば民間伝承などの中に当時の人々がどのような意識を持っていたのかが垣間見える瞬間があるような気がします。
もともと行く予定はしていなかったのですが、伊計島のビーチで遊んだあと夕方に少し時間ができたので、あまり予備知識も持たずにホテルに戻りがてら行ってみることにしました。
城跡と道路を挟んだ反対側にある無料の駐車場に車を停めて振り返ると、小高い丘の上に石垣が見えました。
想像していたより、ずっときれいで規模が大きい!
駐車場の脇には、勝連城の模型がありました。
フタコブラクダのこぶのような2つのピークをもつ丘にまたがるように城が築かれていて、北側の丘(写真の模型では右奥)の方が標高が高く、城の構造としてもこちら側がいわゆる本丸側にあたるようです。
登り口脇にあった案内板にも俯瞰図が描かれていましたが、この絵の右下から中央にむけて坂道が描かれていますが、この道は現在整備工事が進められていて通れず。その右側をぐるっとカーブを描いて登る道があり、そちらから城内に入ります。
見上げると高い石垣が見えます。天気が悪いのが残念。
北側の丘の頂上付近が一の曲輪、その下に二の曲輪、三の曲輪という形で城壁に囲まれた平らな場所があります。
三の曲輪からは二の曲輪に登る階段が3本ありました。二の曲輪には屋敷があったようなので、これらの階段がその屋敷に登る入り口になっていたようです。
一の曲輪から二の曲輪を見下ろしたところ。
屋敷の柱を支えた礎石と思われる石が並んでいるのがわかります。
それにしても見晴らしがいい!思わずパノラマで撮ってしまう。
駐車場と反対側の斜面は急峻で、その下はわずかな平地の向こうに海が広がっています。
周囲にも同じような丘が点在していますが、ざっと見たところこの勝連城がある丘が一番高いように思われました。
名城100選にも選ばれている中城城も見えるらしいですが、天気が悪かったので、私が中城城の場所を知らないので、実際に目にすることはできませんでした。
城壁は防衛のための堅牢さを備えてながらも優美な曲線を描いており、遠くに見える海や他の丘などを背景に草木の緑と黒々とした城壁の色のコントラストが非常に美しい城でした。
現地の案内やWebで軽く調べたところによると。。。
この勝連城は首里を本拠地とする琉球王国が沖縄本島を統一していく過程で、最後まで抵抗した有力な按司(豪族のようなものでしょうか?)であった阿麻和利の居城でした。
若くして勝連城の10代目の主となった阿麻和利は首里の王家の娘を娶り、中城にいた護佐丸(叔父にあたる)を滅ぼしたあと自身も首里の王家にやがて討たれることとなったようですが、この過程における阿麻和利、護佐丸、首里の尚泰久王の思惑や立場は諸説あるようで、それによって阿麻和利を英雄とみるか梟雄とみるか見解は分かれるようです。
ただ、少なくとも阿麻和利は領民に慕われる領主ではあったようで、今でもその名をところどころで目にします。
今回の沖縄旅行では2016年のコンテストにおいてグランプリをとったというハンバーガーも食べにいったのですが、そのハンバーガーの名前は「阿麻和利バーガー」でした。
あるいは、「阿麻和利・あまわり」の名がついた店や施設もいくつかありました。
歴史は勝者が作ったものであり、そこには勝者からの視点が反映されることになりますが、そうしたいわゆる正史とは別の、たとえば民間伝承などの中に当時の人々がどのような意識を持っていたのかが垣間見える瞬間があるような気がします。
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